日本においては、本質的に何も解決できなくても、分かりやすく人の善意を満たす、つまり自己満足できるサービスデザインができれば、それなりにお金やモノが動く。少し前に話題になった日食グラスの寄付の話題を例に挙げてみよう。

足りない輸送費、日食グラスをアフリカへおくろう!→30万個集まる→輸送費150万円です→たすけて!- どうなの速報  

多くの人々が突っ込んでいるように、日食グラスを売ったお金と輸送費を送金した方が、アフリカ現地の人々にとって良いことになるだろう、というのはまさにその通りである。

海外に日食グラスを送るの150万掛かるとのことだけど、考えたいのは30万個の日食グラスが日本国内で集められるのにもお金が掛かっているという点だ。少し極端だが、日食グラスがメール便で個別に送られているとすると、1つのメール便に3つ入れるとして1便80円、30万個なのでおよそ800万の輸送費が使われることになる。加えて、それらに対して人の稼働もかかっているわけだから、合計で1000万をゆうに超えるお金が消費されていることになる。実際はアフリカに一銭もの利益ももたらしていないのにである。それらを現金として送金できたとしたらよほど効率的で価値があるのは間違い無い。おそらく、30万個の日食グラスを焼却処分するコストを差し引いても、送金できる現金の方が多いだろう。

とはいえ、多くの人々は自分の善意を満たしたいという欲求に盲目になって、本質的にどれだけの価値があるのかを良く考えずに、人々はコストをかけて嬉々として日食グラスを送りつけている。繰り返すが、そのコストによってアフリカには何の利益ももたらされていない。要するに、自己満足するために多大なコストをかけたのである。

言い換えれば、本質的に何も解決しないデザインでも自己満足さえさせられてしまえばお金が儲けられてしまうということである。やたら売り上げの1%を寄付します(本当は1%以上のコストが裏で掛かっているので、そのコストをどこかに上乗せしている)的なサービスが流行るのは、日食グラスの例がわかりやすく示してくれているといえよう。

個人的にはサービスをデザインするときには、自己満足させるだけのデザインにはならないように心がけたい。