まずは,人工知能学会の冊子を発行している関係者の皆さま,本懐とは全く違うところで知名度が向上してしまい,大変お疲れ様です.様々な対応に追われていることでしょう.一方で,表紙を変えたことが想像以上の広告効果となったこと,おめでとうございます.もしこの炎上っぷりを予期していたとすればあっぱれの一言です.この話題をバネに,ますますのご活躍を期待しております.
次回の表紙はイケメンの黒人執事あたりが給仕でもしている様子を表紙にしてはいかがでしょうか.個人的には可愛い子供ロボットが,ヒトの子供と一緒に遊んでるイラストとかも見てみたいです.こんな感じでシリーズ化するとリピータが見込めるのではないでしょうか.

能学会の表紙は女性蔑視? – togetter

想像力にはあやうさがある

私は差別については細かいことがよくわかりませんし,今回のイラストが差別か否かなどについては興味がありません.とはいえ今回の出来事は,違った見方で見てみると,人の想像力の危うさをまさに体現した事案だと感じたので記事を書くことにしました.

今回の事案では,制作者が全く意図していなかったこと,むしろほとんどの人が想像だにしなかったことを汲み取り,自分で想像を拡げて自身の心をかき乱し,その心をむき出しにして他者を痛烈に批判しています.これは,想像力の無駄遣いともいえる愚行です.さらに,その批判が引き金となって,新たな想像が膨らみ,争いが連鎖してしまいました.せっかくの豊かな想像力がもったいなくて仕方がありません.

人は想像力を養うことで,素晴らしい発明を生み出し続け,他種族と比べて圧倒的に繁栄し続けることができました.しかし,その力が時折,このような無為な争いを生み出してしまうというのは,なんとも皮肉です

想像力を上手く使ってほしい

豊かな想像力をどう使うかは,その人個人の意識によってある程度はコントロールできます.むしろ自分以外ではなかなかコントロールできません.なので,その豊かな想像力を批判以外に使うことはできないものなのでしょうか?

私個人も不当な差別は無くなって欲しいとは思います.しかし,差別している人(今回の場合は差別すらしていない)を批判したところで解決するような簡単な問題ではないと思っています.また,安易な仕組み作りは,逆差別や新たな差別を生み出してしまう可能性もあるような,とても複雑な課題なのです.だからこそ,批判だけに労力を使わず,人々が尊重しあい,自然と差別をしない方がメリットを享受できるような仕組みを創りあげることに豊かな想像力を使うべきだと思います.

もしかすると想像力の危うさというのは,差別そのものよりも根深い課題かもしれません.

余談

なお,一連の騒動が人工知能学会誌を有名にするためのフェミを装った壮大なステマだったとしたら,それはあっぱれといえるでしょう.見事に釣られました.