少し前に、著名人の著作権切れに対して「著名人の死を喜ぶ」と表現した匿名のはてなダイアリーが投稿され、はてなブックマーク(はてブ)のホッテントリ入りして話題になった。この記事は、ユーザの視点によって、いくらでもシステムの評価を歪められることを体現していて面白い。折角なので別の視点でこの記事を批評してみよう。

著名人の死を喜ぶネット民たちはてな匿名ダイアリー>anond:20130225005411

著作権がフリーにならない限り、読者は本を読むために著作権料を支払い続ける必要がある。著作権は著名人の死語50年継続するため、親族を含めて保護される。一方で、その著作権が切れることによって、著名人以外にどのようなメリットを与えるのだろうか。

まず一つ目は教育的側面が大きい。その著作権が切れることで多くの著作物を無料で読めるようになる。つまり、貧富も老若男女も関係無く著作物を楽しめる。言い換えれば、誰でも柳田国男や吉川英治を師匠にして学ぶことができるのである。さらにいえば、翻訳も自由であるから、翻訳を通じて日本文化を世界に広めることも可能となる。

二つ目は商業的側面がある。著作権が切れることによって無料で大作を楽しめるようになれば、読者は新しい書籍を買うことにお金を使えるようになる。つまり、読者は新出の作家に対してお金を出せるようになるので、新出の作家が育つことに繋がる。まさに、立つ鳥跡を濁さずといえよう。

もちろん、コンテンツに全くお金を払わない層がいることは間違い無いので、彼らによって著名人の活動が阻害されることは避けなければならない。しかし、コンテンツ過多状態にある市場において、価格の下落は自然なことであることも認識しなければならないだろう。加えて、著名人の権利にしがみつく亡者たちがいることも忘れてはならない。そういった亡者は、権利を保護すると声高に叫んではいるものの、実際のところは自分達の利益のために、新たに芽吹く著名人を刈りとって喜んでいるのである。過剰に権利を保護することは逆に市場の縮小を招いてしまうので、いい加減にしてほしい。