ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン、というフレーズがあるように、人は厳密に区別すれば全員がオンリーワンで、二つとして同じ個体はありません。たとえクローンを作って遺伝子的には同じだったとしても、育つ過程で異なる個体になっていきます。
しかし、人は生まれながらにしてオンリーワン、おめでとう!とならない人が多いのが世の中ですね。さて、なぜそのようなことになるのでしょうか。
その原因の一つが抽象化、という概念です。例えば、私という個体を少し抽象化してみれば、日本のとある大学に属する社会人博士、などと捉えることができます。すると、社会人博士は数はそれなりに存在しますので、私はオンリーワンではなくなります。世の中の社会人博士には優秀な方が沢山いますので、もちろんナンバーワンでもありません。他にも例を挙げれば、〜〜さんの夫、妻、親などといえば、それはほとんどオンリーワンでしょう。しかし、単に夫、妻、親といえ風に抽象化してしまえば、もはやオンリーワンではありません。
これは、人の処理能力が一因です。人はある個体を認識するときに、そのままで認識するには情報が多すぎて記憶できません。そのため、人は個体を抽象化してカテゴリを作り、そこにラベルをつけて管理します。そうすることで、効率よく人を覚えたり、カテゴリを管理したりできるようになるわけです。しかしそれにより、個は個として扱われなくなり、その個がオンリーワンであるという認識は成されなくなります。これは、自分が自分を認識するときにも同様の傾向があります。
抽象化を突き詰めていけば、オンリーワンになるというのはかなり難しい話になります。なので、オンリーワンとして居ることを考えたときに、どの程度の抽象度で満足できるか、という話になります。大抵の人は自分を抽象化しすぎて捉えていて、苦しんでいるようにも見えます。
例えば、オンリーワンとしてわかりやすいのは子供の親でしょうか。子供にとって親は(基本的に)オンリーワンです。結婚して子供をもうければ、子供の親としてオンリーワンになれます。ただ、イクメンとか良妻賢母とかいうラベルをつけると途端に難易度があがります。こういったラベルを押し付けると、他との比較が始まってしまうのです。
もう少しいえば、〜〜さん家のパパは、ママはといった比較をすると、その人のラベルは、パパ、ママと大変広いものになるので、相当数のパパと比べられることになります。さらに、カップル(夫婦)としてのオンリーワンのラベルも機能しなくなります。下手をすると、なんのために夫婦になったんだっけ?と悩む人さえいます。
オンリーワンは家庭でもなかなか難しいのですが、会社でのオンリーワンはもはや不可能の域です。なぜならば、会社の従業員は、基本的に代替可能なように作られているためです。つまり、オンリーワンでいられては困るので、できるだけラベルをつけて管理します。なので、組織のなかで、自分をオンリーワンとして捉えることはほぼ不可能です。また、社外に飛び出せばオンリーワンの可能性はぐんと高まりますが、今度は会社間で比べられますので、それでも競争は残ります。
これらのことから分かるように、自分を抽象化をすればするほど、オンリーワンになることは難しくなります。また、抽象化してしまうことは、人の能力的に仕方が無いものであることもわかります。つまり、みんながオンリーワンであることは間違いないのですが、些細な個体差を意識して、オンリーワンとして認識できるほど、人の能力は優れていないということです。だからこそ、厳密にはあなたはオンリーワンといわれても、やった!オンリーワンだ!とはならないわけです。
しかし、こういう認識の傾向が分かっていれば、オンリーワンの部分を意識して、大事にすることはできます。例えば、夫婦であれば、お互いがオンリーワンであると考えて、誰かと比較することなく認めあえば良いでしょう。親であれば、唯一の自分の子供を大切にしてあげれば、それはオンリーワンの子供として育ちます。仕事仲間であっても、いま自分と特定の仕事を一緒にしているのは、その人しかいません。その人もある意味オンリーワンです。
こういう思考は脳の負荷をあげますが、少しでも自分の中のオンリーワンの部分を意識できれば日々の生活に張りが出ます。簡単なことではありませんが、日々少しずつ意識していきたいものです。
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