企業では頑張ったことを評価する仕組みが入っていて、頑張った人ほど給料が多くもらえるというのが基本的なシステムである。しかし、頑張ったこと自体よりも「頑張ったこと」を見せるために労力を多く割く人達がいる。例えば、施策を頑張った記録を残すために恣意的なアンケートを大量に取る、無駄にドキュメントを量産して成果物と称するなどである。なぜそんな徒労をするようになってしまうのだろうか。

頑張る目的と手段が逆転する

それが過剰になってくると、目的があって施策を実施するところを、頑張ったという結果を出すために施策を実施するという逆転現象が起こる。期末近くになると謎の研修や、職場改善に向けたアンケートなどが実施されたりする会社では、総務部あたりに目的と手段が入れ替わっている人がいることを疑うと良い。他には、資格取得も同様の問題が起こることがある。資格を取ることが昇級や昇進条件になっていたりする会社が多いのだけど、その資格を取ることが目的になってしまう人がいる。こうなると、資格は持っていて万能に見えるし給与も高いけど、実践に投入してみると理論ばかりで実が伴わない人材になってしまったりする。

評価のデザインにも問題がある

このようなことが起こるのは評価する側にも問題がある。効率的に評価するために、やたら「定量的な業績」や分かりやすい「資格取得」に頼って評価を出すといことが原因の一つとして挙げられる。そのため測れる範囲が著しく限定されるので、その範囲から外れたものを評価しなくなる。そうすると、評価される側は分かりやすい成果しか出さなくなるし、分かりやすい成果にするための努力をする人が増える。

加えて、そうなると分かりやすい成果が出るものに予算が付きやすくなる。これにより、見かけ上成果が出ている謎のプロジェクトはまともな審査もないまま継続予算が割り振られる一方で、新規案件に対して「前例がないから」などといわれながら大量の資料を要求されたり、大量の手続きを要求されたりと無益な作業を求められるようになる。これらにより、新しいことに挑戦するために頑張る人は駆逐され、現状維持を好み、頑張った記録を残すために頑張る人ばかりになる。

会社として評価の作業を効率化していくことは重要なのだけど、それ以上に、評価を見せるための作業が増えてはしまっては本末転倒だろう。また、評価される側にしても、ある組織だけで評価される結果をいくら積み上げたとしても、いつかはメッキが剥がれることを忘れないようにした方がよい。